戦略に幅のあるゲームでは、あるプレイに対して「うまいなぁ」「へただなぁ」といった感想の他に、「(人の名前)っぽいなぁ」という感想を抱くことがある。麻雀を例に挙げるなら、「この安牌の持ち方は~っぽい」「この牌姿からの鳴きは~っぽい」といった具合である。人の名前の部分には有名なプロ雀士であったりネト麻で鉄強扱いされてる人の名が入るだろう。

 こういった「~っぽいなぁ」という感想を抱ける行動は、一般的に正しいとされているセオリーから若干外れている場合が多い。数秒後になるほどと気付かされるような奇抜なプレイであることもあれば、一見するとゲームの最終目的である勝利に対して遠回りで、それゆえに苦笑いしながら「~っぽいなぁ」と眺めてることもある。
 しかし、当の本人がその打ち筋、立ち回りによって名声やタイトルを獲得しているとすれば、そこに迷いはあるはずがない。もしくはその特異なバランス感覚は完全に無意識化されているはずである。
 そのセオリーから若干外れたプレイが本当に正解なのかどうかはあえて問わないが、このことから戦略に幅のあるゲームでは、“黄金律とも呼べるような一般に勝率が高いとされるプレイ”の他に(もしくはその中に)、特定個人を連想できるような“個人意思を尊重したプレイ”も容認され得るといえるだろう。

 マジックにおける一番わかりやすい例は、青系コントロールデッキの回し方が人によって違うということか。プレイヤースキルが近い2人がとあるデッキに対して完全に同じ75枚を使っていても、一方は要所でアグレッシブにタップアウトするし、もう一方は攻守の切り替えしに非常にシビアである・・・というようなことは身内のプレイを見ていたりPTやGPのライブカバレッジを見ていてもたまにある。


(ようやく本論)勝利という目的のために“一般に勝率が高いとされるプレイ”の他に、“個人意思を尊重したプレイ”も容認され得るならば、自分がどういった思考でゲームを捕えがちなのかということを理解しておくことはとても重要なのではないか。
 マジックに限らず戦略ゲームで「ミスった」といえば、それはつまり「最終的な勝率が一番高いと思われる行動をみすみす見逃した」である場合が多く、この反省から個人意思を押し殺して冷静な目を身に着けようとする。しかし、その個人意思の価値をもう一度見直そうというのがこのしょーもない日記のテーマである。

 マジックは非常に選択肢が多いゲームで、ゲーム中に、あるいは構築段階で「自分のやりたいようにやってしまえ」という事態に直面することも多い。この自分のやりたいように~の部分が何であるかを具体的に理解できていれば、例えばただのコピーデッキを専用機へと仕上げる良いヒントにもなると思う。
 上の青系コントロールの例をもう一度使うと、要所でアグレッシブにタップアウトできるプレイヤーがフィニッシャーが少ないバージョンの青白コンを使っているならば、それはもったいない話である。攻守の切り替えしにシビアなプレイヤーがフィニッシャーが多い青白コンを使っているならば、それはストレスだろう。
 この程度のことは自分の好みとして誰もが無意識にやってることだろうが、これが75枚すべてに対して意識的に行えれば、デッキは一つの目的に向かってよりスマートになるはずである。
 自分のプレイにデッキをアジャストすれば、実戦での判断ミスも減るのではないか。やりたいようにやるというのはある意味で行動の動機が明確で、そのやりたいように~の部分が何であるかを自覚できているなら矛盾したプレイにも陥り辛い。

 しかし、環境理解度や各マッチアップ理解度が低い状態でこれを実践するのは間違いなく逆効果である。結局のところ、一度は“個人意思”を“一般に勝率が高いとされるプレイ”に照らし合わせる必要があり、常にやりたいことをしているだけのチンパンに成り下がったら終わりである。やりたいことが勝率を著しく下げる行動ならそれは絶対にミスであり、やりたいことをして勝てるデッキに変えるか別の行動を模索するべきである。


 長々書いたけど要は戦略ゲームにおいて確固たる自己理解は有意義なのではと思っただけです。昔「エクテンはキャラ」なんてフレーズをよく聞いたけどそういう話にも繋がってくるかな。検討の結果どのデッキも同じくらい強いなら自分の血に従ってデッキを選べという意味だと思います。
ここまで全部読んだ人はすごい。

コメント

Ono GP03
2014年9月26日13:55

有意義でした(^^)

706
2014年9月26日13:58

読みづらくてもうしわけねぇだ( TДT)
706

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